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こんにちわ♪

こんにちわ♪

なぜ新年は一月一日なのかな?


2004年から2005年にかけて、僕はロンドンで過ごしているのですが、今回、ここロンドンでクリスマスを過ごすことにより、今まで疑問に思っていたなぞが解明されつつあります。


なぜ新年は1月1日なのか?

皆さん、あまりこのなぞに突っ込んで考えたことがおありでしょうか?

おそらくはないことでしょう。


これは、ちょっとフィリピン時代に感じていた疑問を解かなければなりません。


 フィリピンは、敬虔なカトリックの国で、すこし他の宗教に対して不寛容でないかと思われるほどです。

ので、クリスマスはそれはそれは盛大に行われます。フィリピン在住中、たまに、ものすごい爆竹が鳴らされます、ミンダナオと言う土地柄、イスラムのテロかと思いびっくりするのでやめて欲しいです。


そして、どうも、フィリピンではクリスマスと新年は一連の行事として祝うようです。

というのは、フィリピン在住中、12月の初め頃、国内への年賀状を出そうかなと思い、ただ、新年前に着いてしまったらいやなので、日本のように1月1日に配達されるシステムはあるのか、フィリピンの郵便局の方に聞いたところ、そういうシステムはないらしく、さらに、この国では、クリスマスと新年の挨拶は同じようなものだから、年内に着いてしまっても問題はないと言われました。
 
しかも、「クリスマスが近いから、みんな仕事が手につかないで働かないから、今出してもどうせ年内に着かないよ。それどころか1月始めに着くかもわからないよ。」と言われました。クリスマスを口実にサボるなんて、それじゃキリストもうかばれないだろ!と、キリストに仏教思想を適用して説教してやろうと思いましたが、死んでもイエスは仏にはなっていなさそうなのでやめました。本当は「うかばれない」なんて英語でなんて言うか解らなかっただけなんです。

 また、この時期、どこに行っても、必ず「Merry Christmas &Happy New Year 」とデサインされた飾りが貼られています。

下記の写真なんか、サンタクロースが「Happy New Year 」と言っています。もし、ここに江戸っ子の親父がいたら、クリスマスと新年はまったく別もんだってんだ!一緒にするな!と、このサンタクロースを門松で突き刺すところです。そして、そんな彼の行動は誉められこそすれ、世論は罪を問わないでしょう、もし法的に問われても恩赦が適用されそうなくらい、日本人的感覚からするとクリスマスと正月は別物、サンタクロースは25日に消えろという意識があると思います。


marrychristmas

サンタさんから『あけましておめでとう』


 はたして、クリスマスと新年は無関係なのでしょうか?クリスマスが年の瀬にあるのは偶然なのでしょうか?


 そして、そもそも1月1日とは何の日でしょうか。新年に決まっているだろ!と思われた方もいるかもしれませんが、例えば、「今日、9月1日(A)は防災の日(B)です、この日は関東に大震災が起こり(C)・・・」とテレビのニュースでA→B→Cと論理的に説明してくれています。ところで、1月1日は、「今日は1月1日、元日です。」、納得してしまいそうですが(C)の部分がありません。

 僕は、この事が不思議で、誰かまともな解説しないか期待していましたが、決して(C)の部分が言及されることはありませんでした。2月初めの旧正月には、テレビは(C)の部分を言及しているにもかかわらずです。また、調べに図書館に行った事もありました。しかし、それに即答してくれる文献がなく、その文献類を統合できる力はなく途方に暮れてしまいました。


 しかし、インターネットでいろいろと調べた末、やっと解ったのです。その答えに非常に感動を覚えたので、今回この日記にて偉そうにのたまおうと言うわけです。







・・・・という事で興味のある方は、この続きをご覧ください。ただ、キリスト教徒の方が読むと不愉快な思いをするかもしれませんがご容赦ください。



 私たちが現在使っている暦はグレゴリオ暦といわれ、16世紀後半にローマ教皇グレゴリオ13世によって改暦されたものです。この改暦で、それまでの暦による、天文学上と暦上の誤差を補正するとともに、今後も誤差が生じないように、400年で97回の閏年をおくことに決まりました(4年に1度の閏日、ただし100で割れる年は除き、400で割れる場合のみ入れる:地球の自転周期約365.2425日)。しかし、この改暦前の時点ですでに年初が現在の1月1日の位置にすでになっていたようで、このためには古代ローマの暦までさかのぼる必要があります。

 古代ローマでは、春分の日(またはその付近)を年初としていました。つまり、今の3月21日付近が年初だったようです。なお、その当時の年初月は、1月でなく3月でした(年初は、March 1だったということです)。8を意味するOctが、現在は10番目の月であるOctoberについているのはこのためです。

※ 1月、2月と記すとややこしくなるため(1月がなぜ初めの月か?というと愚問にみえてしまうが、実際はJanuaryがなぜ初めの月か?ということなのです)、以後、月はJanuary、February、March・・・と記します。

 この後、Januaryの由来である、ヤヌアリウス神が偉いということで(?)、Januaryが年初月に変わっていったようです。また、そのことは紀元前1世紀に、ローマの為政者シーザーによるユリウス暦への改暦で正式に宣言されました。つまり、この時点で年初であるJanuary 1 は、春分の日の2ヶ月前という位置にあり、現在の暦で1月21日付近という事になります。
 
しかし、ユリウス暦は、4年に1度の閏年を必ずいれていたので、400年に3日ほどの誤差が生じ、4世紀には、暦上と天文学上の春分の日のずれが無視できなくなり、三位一体説を正統としたことで知られるニケーアの公会議で、これを補正しました。さらに、これまでMarch 1付近であった、春分の日の位置をMarch 21とすると決定しました。
 
つまり、ユリウス暦制定当初から暦を21日分ずらしたということです。春分の日がMarch 21、これは今、私たちが使っている暦と完全に一致します。つまりニケーアでのこの決定によってJanuary 1も、21日分ずらされて、今の1月1日の位置になったのです。
 
ただし、この会議では補正は行いましたが、暦のシステムの改変を行わなかったため、400年に3日生じる誤差は、また、次第に無視出来ないものになってきました。これが現行暦であるグレゴリオ暦への改暦へとつながりますが、この改暦は、前述の通り、補正と閏年システムの改良ですので、今回のテーマである1月1日に位置に影響を及ぼしてはいません。

 

上記の解説は、多くの文献に見られる傾向で、なぜかもう一歩踏み込んでいないものです。問題は、ニケーアの公会議で、なぜ春分の日をMarch21という半端な日に割り当てたのかということです。これが、はっきりしない限り、なぜ今の1月1日は、あの位置にあるのかということに何一つ答えていません。

 どうも、多くの文献に登場する、春分の日をMarch 21 としたという記述には、明らかに裏があります。これは、キリスト生誕日であるクリスマスをDecember 25にするために行ったようです。というのは、この暦をずらしたことに、黎明期のキリスト教の教団の戦略が隠されています。

 2、3世紀当時、ローマでの支配的な宗教は、太陽神であるミトラ神を祭るミトラ教と呼ばれるものでした。ミトラ神は、冬至の日に一度死に、その3日後(資料によりあいまいである)に復活するとされており、この日は、ローマをあげての壮大な復活祭が毎年行われていたそうです。
 
当時のキリスト教の教団は、この祭りに目をつけ、便乗かつ、ミトラ教を弱体化し、キリスト教がその地位をスムーズに取って代わるために、キリスト教最大のイベントであるイエスの生誕祭つまりクリスマスをこの日にぶつけたのです。つまり、かつてイトーヨカドーの前にことごとくダイエーが店舗を展開し、客を横取り、かつ、敵を弱らせるという感じでしょうか。そのダイエーもいまや、経営危機に陥っているようですが。冬至の日の3日後付近にクリスマス、これは、現在の暦の12月25日の位置に一致しています。ただ、当時の暦では、この日はまだDecember 5付近です。

 ニケーアの公会議(325年)以前にこのような既成事実があり、春分の日をMarch 21に決めたと前述した、この会議は、春分の日ではなく、冬至の日の3日後、つまりクリスマスが行われていた日を何日にするかが、話し合われたのです。その結果、この冬至の3日後をDecember 25になるように暦を21日分ほどずらす事が決定されたのです(言い方をかえると春分をMarch 21 にしたということになり、なぜか多くの資料はこっちの方が書かれている)。

 なぜ、クリスマスをDecember 25にしたのか、それは、その7日後を年初であるJanuary 1にするためです。聖書の記述では、イエスは誕生の7日後、ユダヤ教の儀式である割礼を受けています。この儀式は神との契約であり、もちろんキリスト教にとっても大変重要な意味を持っています。ニケーアの公会議では、このイエスの割礼日をもって年初(1月1日)にすることに決め、イエスの誕生は、その7日前の12月25日となったのです。


つまり、日本人の感覚の方が誤りで、クリスマスと新年はひとつづきの行事であり、クリスマスが年の瀬にあることは偶然ではないということです。

 この現在の年初は割礼年初と呼ばれています。古代ローマは春分年初、日本の旧暦は立冬年初です、それに対して現行の暦であるにもかかわらず、この割礼年初は非常にマイナーな言葉です。少なくても日本では、知られちゃいけない知識の部類に入っているような気がします。

 ので、付け加えますが僕は割礼を神聖な儀式と考えているキリスト教徒の方々が、この割礼年初を祝う事に何の批判も奇妙さも感じていません。そうではなく、ただ、信者でない僕にとっては、この新年はそうとう力が抜けるのです。こんなものが基準である新年を、多くの国々に祝わせているなんてはっきりいって、ふざけているとも思っています。


年明けのカウントダウン、何へのカウンティングが考えるとばかばかしいというか、恥ずかしいです。頼むから年初をまともなものに代えてくれという感じです。

 最後に。聖書の記述を信じる限り、イエスは冬には生まれてはいないようです。それで、イエスは本当は12月25日に生まれてはいないという言う人がいますが、これは、誤りというか誤解が含まれています。

12月25日にイエスが生まれたのではなく、現行の暦ではイエスの生まれた日のことを12月25日と呼んでいるのです。ので、何がなんでも、イエスは12月25日に生まれたのです。

どうも長々と読んでいただいて申し訳ありません。以上、すっきり納得がいくという意味で自信があるのですが、誤り等ありましたらご指導、ご指摘ください。




最後に。




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写真は、フィリピンのふんどし姿のサンタクロース(笑)



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